工藤伸一随想集【Shin`s Selfish Sketches】Science Life Category 001
平行世界としての空想世界
【第1稿】 2003/01/12 【最終更新日】 2003/01/12

 唐突な話ですが、僕が物語を作る方法は、京極夏彦先生と同じです。
 実はこの文章は、某掲示板サイトへ僕が書き込んだものが元になっていまして、その文脈から切り離されたもののため、いきなりの展開で申し訳ありません。
 というわけで、話を続けます。
 どういうことかといいますと、まずはじめに最初のひらめきが頭のなかに訪れて、それとともに作品全体の映像や物語が一瞬にして完成します。
 そのあらかじめ構築された完成形に近づけるために文章を綴っていくのです。
 ですから書かれる前からすでに作品は出来ているのです。
 しかしその構想を文章に起こす際に、思い通りにするのが大変なのです。
 ミステリ畑の作家の話ばかりで申し訳ありませんが、赤川次郎先生の場合は京極夏彦先生とは真逆で、冒頭部分のイメージが浮かんだらあとは筆のすべるがままに書き進めていき、書きながら話の流れを考えるそうです。
 だから読者だけでなく作者自身も真犯人が誰なのかわからずに連載を続けていることもしばしばで、それはそれで楽しいそうです。
 ちなみにこれは、あくまでも「作り方」の話です。
 作品の質の話ではないんです。
 ですから京極ファンの皆様、怒らないで下さいね。
 スポーツにおける技のこなし方やヴォーカルの歌唱法の場合も、その質とは関係なく、同じ方法をとっているという言い方はできるはずなのです。
 それと同じ事です。
 というわけで、僕が天才かどうかということと創作方法は関係のない話なんです。
 いくらどんなに物語の構想を一瞬で作れるからといって、それを作品として仕上げるためには多くの努力を要するのです。
 その作業を必死で乗り越える段階を踏まない事には、天才にはなれないのです。
 天才と言えば多くの人が想起するのは、アインシュタイン博士やホーキング博士ですね。
 彼らの理論は研究の過程で導き出されたのではなく、まずはじめに根拠のない結論のひらめきが頭の中にあり、それを正当性のあるものとすべく後付で理論を付け足していったものだそうです。
 このことを理解できる人なら、僕の言っていることもわかるはずです。
 さて、ここからがこの文章の本題となります。
 宇宙には果てがありませんよね。
 そして意識にも果てがありません。
 つまり人間の外界と内界はどちらも永遠に広がっているということです。
 だとすれば両者がメビウスの環のようにしてつながっている可能性も否定できないのです。
 そこではあらゆる時間も空間も何らかの接点を持って同時に存在していて、夢と現実、過去現在未来といった隔たりも意味を持ちえません。
 全てがそこにあり、そこからの情報が何らかの機会を得て個人の脳を媒介して「ひらめき」として発現するのです。
 そういう意味において「天才」の本質が脳の働きのことではなく「世界」本来の有り様によるものであるともいえるのではないでしょうか?
 この話は多次元宇宙論とも関連するものです。
 この世界には無限の選択肢が存在し、どの選択肢が選ばれたかによって平行世界が枝分かれしていくという発想の事です。
 この理論がタイムマシン開発の現実性を高めることに大いに寄与したことは記憶に新しい事実です。
 そして僕の考えでは、この多次元宇宙論における平行世界とはすなわち「空想世界」のことなのです。
「もしあの時、こうしていたら?」
 という、なされなかった過去の選択肢の実行によって産まれた平行世界が存在するのであれば、全く自分とは関わりのない、たとえば小説を読んでいる時にあなたが頭の中で空想した世界もまた、平行世界としての命を吹き込まれ、その後も存在し続けているのではなかろうかということです。
 すなわち自分の空想が自分の頭を離れてもなおかつ歴史を重ね成長し続けているということです。
 そしてそれは空想者本人が住む宇宙ともどこかでつながっていて、同じ世界に住む別の人間の脳内の世界ともつながっているのです。
 同じ部屋に泊まっていた複数の人間が同時に同じ夢を見るという現象が時折、報告されます。
 このことが空想世界の実現性を証明する手がかりになるようにも思えるのです。
 昨年発表されたばかりの最新の宇宙論は、『プログラム理論』だそうです。
 宇宙の森羅万象を定義付けることができる『宇宙のプログラム』が存在し、それはおそらくかなり単純な構造を持つものであり、たとえるなら生物のプログラムであるDNAのようなもので、エディタ上で表記するさえ可能なものではなかろうかという、コンピュータ畑の学者が提唱したものです。
 この理論は物理学者の間で大きな波紋を呼んでいるらしいですが、あくまでもまだまだ序論の段階であって、本格的な研究は始まったばかりだそうです。
 この理論が産まれた背景には、現実界をテレビゲームソフトやコンピュータになぞらえるという発想があったのだろうと推測されます。
 ユーザのあらゆる選択肢にも耐えうるようにと複雑に進化していったテレビゲームやコンピュータの基盤同様に、宇宙の基盤がどこかにあるのだということです。
 この研究の成果が、僕の空想の正当性をも証明してくれる日が来るだろうことを期待していますが、それがいつのことになるかはわかりません。
 ユングの心理学によれば、全人類に共通する「共同記憶」なるものがあるそうです。
 これはその後の神話学やイコン理論、言語学にも受け継がれていったある意味オカルト的な理論ですが、オカルトと言われてしまった所以はあくまでもこの理論は確実な根拠が存在しない空想の域を出ないものだからです。
 しかしプログラム宇宙論の結論が導き出された暁には、この「共同記憶」の秘密も解き明かされるのではないかと思うのです。
 生物の獲得形質のひとつである「記憶」は遺伝の対象にはならないという説もあるようですが、脳医学が脳細胞の全ての働きを明かしているわけではない現状では、その理論もナンセンスということになります。
 マウスを使った実験で、マウスの行動パターンが親世代の教育や種本来の本能によってだけではなく、飼われてきた代々のマウスへの人為的関与を加えられた行動パターンを継承したものに変質していくという実験結果もあるそうです。
 これにより、進化論は未だにただひとつの見解にまとめられることなく議論を呼んでいるのです。
 この「獲得形質の遺伝の可能性」から「全人類の記憶のなかに宇宙の全ての情報が隠されている」と推測する事も出来ます。
 すなわち人間の「記憶情報」を完全に明らかにすることができれば、ビッグバンの瞬間の映像も地球が産まれた当時の光景も、そして宇宙の基盤である基幹プログラムまでもが発見できるのではなかろうかということです。
 ミクロ的世界の研究成果がマクロ的世界をも説明できるはずだということです。
 多次元宇宙論はSFファンの間では有名な理論ですが、一般的には普及していない発想のようです。
『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のシナリオにも多次元宇宙論は採用されていませんし、つい昨年にもこの理論を知らない書き手による『タイムマシンの不可能性』を証明しようという小説が文芸誌上で発表されていて呆れてしまいました。
 「タイムマシン」は実現可能に限りなく近いところまで来ている、というのが21世紀の現代物理学の現場における共通認識です。
 多次元宇宙論によれば、タイムマシンで過去へタイムトリップして自分自身を殺しても、そこで自分が死んだという新たなる平行世界が産みだされるだけで、タイムトリッパーが住んでいた世界はそのまま何事もなかったように存続し続けるのです。
 自分の両親が結婚できないことになったとしても、自分が生まれなかったという平行世界がひとつ増えるだけで、自分の存在が消滅するなんてことも起こらないのです。
 この理論によっていわゆる「タイム・パラドックス」の問題は解消されたのです。
 さらにここに「平行世界としての空想世界」の理論を付け加えると、空想というシステムの秘密も明かすことが出来るでしょう。
 タイムマシンが実用化されることになれば、空想世界へも行き来できることになるのです。
『ドラえもん』に登場した『もしもボックス』が現実化するということです。
 さらに言えば、その『ドラえもん』の世界にだって入り込むことができます。
『ドラえもん』は漫画やアニメという形で我々の空想を戯画化したものですが、その実態は作者である藤本弘先生の空想した「空想世界」として現実界の「平行世界」の中に含まれ、いまもなお存在し続けているのです。
『ドラえもん』だけでなく、アニメファンが憧れてきた『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』、『ラブひな』の世界にだって現実に行けるようになります。『まいっちんぐマチコ先生』や『デビルマン』にも直接会うことが可能です。
 これは単なる妄想ではなく、「もしも?」の世界が実現する「平行世界」の概念を徹底的に追求して考えてみたならば確実に到達しうる発想だと思うのです。
 実はこのエッセイの根幹となっている発想は、大学時代に僕が出入りしていた心理学や社会学のゼミでも発表したものなんですが、そこでは、
「それは学問の分野が違うのではないか?」
「それに君の言っている事はまるで狂人の妄想のようで、目茶苦茶なものとしか思えない」
 といった具合に酷評されて誰にも取り合ってもらえなかったのです。
 しかし当時はこの話の中に出てきた『プログラム宇宙論』の提唱もなされていない頃で、心理学や社会学の研究者や学生達の多くが『多次元宇宙論』のこともよく知らなかったのです。
 そんなわけでここにこうして書いてみることで、僕の言っているようなことに賛同してくださる方が見つかればいいなと思った次第です。
 まだまだ欠陥のある思想かもしれませんが、興味を持ってくれる方が少しでも見つかれば嬉しい限りです。   (了)

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