工藤伸一の小説
呵責 Bad Guilty Conscience
【第1稿】 2002/04/16 【最終更新日】 2003/02/19

                   【最新稿:2002/10/23】

 小雨がぱらつきはじめていた。
 テストの採点で遅くまで小学校に残っていた俺は、がらがらに空いている深夜の国道を猛スピードでとばしながら、自宅へ向かっていた。いやに湿気が高いので、この分だと夜明けまでにはどしゃぶりになりそうだな、と思った。
 信号待ちをしている時のことだ。 交差点の脇の公園のベンチに一人で座っている人影に気付いた。毎日通る道だから、こんな夜更けの公園に人がいるのは不審に思えた。
 目を凝らしてよく見てみると、若い女性のようだ。いまどき珍しいストレートのロングの黒髪をしていて、色白でほっそりとした体型で、服装は白地のブラウスに黒のスカートと、どこをとって見てもひどく地味な印象を感じさせる。こんな時間に夜遊びをする類の女にはとても見えないと思った。しかもうつむいたまま肩を震わせていて、泣いている様に見えた。
 車を降りて女に近づくと、女ははっとして俺のほうを向いた。いまにも消え入りそうなくらいに悲しげな表情をしている。はっきりとした二重の瞼は心なし腫れていて、両目とも真っ赤に充血していた。
 何とかしてあげたいと思い、女に話しかけた。
「何かあったのか? よかったら話し相手になろうか?」
「……ありがとう。でも、いいわ」
 女は弱々しい声で答えた。
「そうか。だけどこんな時間のひと気のない場所に、君のように若い女性が一人でいた
ら、危険だよ。家は近いのかい?」
「……電車で1時間近くかかるわ」
「もう、電車ないだろ? それにほら、雨も降り始めてる。ここで始発を待つなんて、ちょっと無理だろ。なんなら俺が、家まで送ってやろうか?」
 女は少し考えるそぶりをしてから、声もなくうなずいてみせた。
 俺は女を車に乗せた。
 首都高に乗って、途中のパーキングエリアで休憩することにした。
「自販機で飲み物を買ってくるよ。何がいい?」
「コーヒー。ホットがいい」
 車の中で缶コーヒーを飲みながら世間話をしていると、女は少しずつ自分の事を話し始めた。付き合っていた男にフラれて、職場の近くのショットバーでやけ酒を飲んでいて終電を逃してしまったらしい。酔いを冷まそうと公園のベンチで休んでいたら、あまりの寂しさに泣き出してしまったとの事。
 女はすっかりくつろいだ表情をしている。
 改めて眺めてみると、かなりいい女だ。くっきりと鼻筋の通った、清楚で上品な顔立ち。スカートからすらりと伸びた華奢な生足がなまめかしい。
 静かに女の話を聞いているうちに、「この女を抱きたい」という、どうしようもない性衝動が、むらむらと襲ってくるのを俺は感じていた。
「可哀そうに。俺ならきっと、君を悲しませたりはしないよ」
 そう言いながら女を抱き締めようと右腕を女の右肩にかけたら、女は狼狽して、とっさに俺の腕を強く噛んだ。
 噛まれた痛みにうろたえて、俺は思わず後ずさりした。
「嫌よ! やめてってば! 私そんなつもりじゃない!」
 女はそう叫びながら、ドアを開けて外に飛び出した。
 噛まれた右腕にははっきりと歯形が残り、血が滲み出ていた。
 女の態度に憤慨した俺は、そのままエンジンをかけて、車を走らせた。バックミラー越しに、女がひざ立ちの格好で泣いている姿が見えた。
 雨足がずいぶんと強くなってきていた。
 どしゃぶりになりはじめた頃には、さすがにこんなところに女をひとりで置いていくのはひどすぎるかと思い、戻ってあげようかとも思った。
 しかし俺は、いきなり腕に噛みつくなんていう、まるで恩を仇で返されたような仕打ちへのいきどおりのせいもあってか、何だか急にこのところずっと続いていた残業の疲れがどっと押し寄せてきて、どうにもむしゃくしゃしてしょうがなくなっていた。とにかくさっさと帰って寝たい、もはやそれ以外のことは考えたくなかった。
 そして結局、俺は女を置いてけぼりにしたまま、家に帰ってきてしまった。
 帰るなり熱いシャワーを浴び、缶ビールを一本あおってから、そのまま倒れるようにして床に就いた。鳴り響く雷の音も全く気にならず、すぐさま眠りに落ちた。

 翌朝、目が覚めてカーテンを開けてみると、昨日の天気がまるで嘘だったかのように、空は綺麗に澄み渡っていた。
 そして何だかすがすがしい心地よさを感じながら、コーヒーを淹れ、トーストを齧りつつ、何気なくテレビのニュース番組を観ていたら、臨時中継が入った。
 昨日の夜、首都高のパーキングエリアに居眠り運転のトラックが突っ込み、そこにいた女が轢かれて死んだらしい。そして、見覚えのある場所がテレビ画面に映し出された。そこは昨日、俺が女を置いて来た場所だった。女の身元は判明していないが、服装は『白地のブラウスに黒のスカート』とのことだ。
 あの女にほぼ間違いない。
 あまりの現実感のなさに俺は、右手でこめかみの辺りを押さえたまま、しばし呆然としていた。そして目の前にある自分の右腕にふと目をやったとき、そこに女の歯型をした傷跡が、生々しいまでにくっきりと残っていることに気づいた。俺はその傷跡をまじまじと見つめながら、たとえようもなく大きな呵責の念が、ただひたすらに途方もなく、自分の心の中に広がっていくのを感じていた。   (了)

     ―――――――――――――――――――――――――――――――

                   【第1稿:2002/04/16】

 その日は雨が降っていた。
 テストの採点で遅くまで小学校に残っていた俺は、がらがらに空いている
 深夜の国道を猛スピードでとばしながら、自宅へ向かっていた。
 信号待ちをしている時のことだ。
 交差点の脇の公園のベンチに一人で座っている人影に気付いた。
 毎日通る道だから、こんな夜更けの公園に人がいるのは不審に思えた。
 目を凝らしてよく見てみると、若い女性のようだ。
 スレンダーで髪が長く、白地のブラウスに黒のスカートという地味目の服装で、こんな時間に
夜遊びをするような感じにはとても見えない。
 しかもうつむいたまま肩を震わせていて、泣いている様に見えた。
 車を降りて女に近づくと、女ははっとして俺のほうを向いた。
 弱々しい目で僕を見ている。
「何かあったのか? よかったら話し相手になろうか?」
「ありがとう。でもいいわ」
「そうか。ところで、こんな時間に一人で人気のない場所にいたら危険だよ。
家は近いのかい?」
「電車で1時間近くかかるわ」
「もう、電車ないだろ。なんなら、家まで送ってやろうか?」
 俺は女を車に乗せた。
 首都高に乗って途中のパーキングエリアで休憩することにした。
「自販機で飲み物を買ってくるよ。何がいい?」
「コーヒー。ホットがいい」
 車の中で缶コーヒーを飲みながら世間話をしていると、女は少しずつ自分の
事を話し始めた。付き合っていた男にフラれて、職場の近くのショットバーで
やけ酒を飲んでいて終電を逃してしまったらしい。酔いを冷まそうと公園の
ベンチで休んでいたら、あまりの寂しさに泣き出してしまったとの事。
 女はすっかりくつろいだ表情をしている。
 改めて眺めてみると、かなりいい女だ。
 清楚で上品な顔立ちで、スカートからすらりと伸びた華奢な生足がなまめかしい。
俺は静かに女の話を聞いているうちに、「この女を抱きたい」という衝動が
むらむらと襲ってくるのを感じていた。
「可愛そうに。俺が君を拾ってあげるよ」
 そう言って俺が顔を撫でようとすると、女は狼狽して、とっさに俺の指を噛んだ。
「嫌よ!やめてってば! 私そんなつもりじゃない!」
 そう言いながら女はドアを開けて外に飛び出した。
 女の態度に憤慨した俺は、そのままエンジンをかけて、車を走らせた。
 バックミラー越しに女が泣いている姿が見えた。
 ちょっと後悔した。助けようと思った。
 でも俺は、女に謝るのが嫌だったし、これ以上もめて寝不足になるのも
 癪だと思い、女を置いたまま帰った。
 翌朝のテレビのニュースで、あの女が首都高から身投げして死んだ事を知った。 (了)

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