工藤伸一の小説
独面太郎
【第1稿】 :2002/12/28 【最終更新日】 :2002/12/28

 日本地図が整備される以前に沈んでしまった島がありました。
 その島を治める者は代々、「独面太郎(どくめんたろう)」と名乗ることが定められていました。
 それは「施政者たる者、こそこそと隠れて姑息な二枚舌を使うなどは言語道断、公私の区別なく正々堂々とただひとつの顔だけを持って行動すべし」という初代施政者の遺言によって制定された掟だったのです。
 よって施政者が何らかの隠し事をしている事が判明すると即座に地位を剥奪さ
れ、二度とその座につくことはできないという厳格な決め事に則り、島の政治は行われてきたのです。
 そういった島民の民族性はもしかするとその島が見事なまでに真四角だったという地理的な条件もあったのかもしれません。
 ちょうど島の真ん中に聳え立った小さな山からはたくさんの山菜も取れましたし、動物も多かったため、島民は食うに困る事もなく平和に暮らしていました。しかし限られた自然を守るべく定められた「森林伐採をすることなかれ」との掟のせいもあって船を作るという発想がなかったために、近隣諸国との交流もなく、まったく独自の文化を歩んできたのです。
 そこはまさに世界中の芸術作品のなかで賛美されてきた、ギリシア時代に実在したという山河渓谷に挟まれた牧歌的理想郷「アルカディア」をほうふつさせるがごとき東洋の神秘でもありました。
 バミューダ島周辺の海上を渡る船がことごとく沈没の悲劇にみまわれてきた元凶であるバミューダ海域のあらぶる海流に酷似した海域の真ん中に位置していたということあって、その島を訪れる船もありませんでした。
 そんなわけで長らく秘境の島としての歴史を歩んできたこの島でしたが、あるとき
「独面太郎」の座に着いた男がまったくひどい性格の持ち主で、島民を欺くだけでなく二枚舌の秘密を知った者を密かに始末するなどしてやりたい放題だったのです。
 その男は科学技術に精通していて、望遠鏡をつくることに成功し、近隣にも多くの島が存在する事を知ったのです。
 そして数少ない森林を伐採して船を作りはじめ、他の島に戦を仕掛けようと考えたのです。
 ところがそれが仇となり、出帆前日に発生した豪雨にみまわれたあげくに木々を失いすっかり禿山と化した山に降り注いだ水が瞬く間に島全体を水没させ、多量の水分を含み緩んだ地盤の変化が休息状態であり続けてきたはずの山の噴火活動を誘発し、流れ出すマグマと荒れ狂う海水とによって島は跡形もなく海の底へと沈んでしまったのです。
 もしかするとそれは、掟を守るようにと山の頂上に祭られていた初代「独面太郎」による天罰だったのかもしれません。
 こうしてこの島のことは忘れ去られてしまったかに見えました。
 ところがそうではなかったのです。
 かの悪名高き最後の独面太郎の息子が海上を漂っていたところを偶然とおりかかった船に助けられたのです。
 そして彼は子宝に恵まれなかった船乗りの家にひきとられることとなりました。
 思春期の年頃であった彼は、天災がもたらした心の傷によって多くの記憶を失っていましたが、親譲りの向学心と好奇心を発揮して知識を得ていきました。
 そして彼は読書好きが昂じて物書きとなり、市政のあらゆる出来事を裏表の区別をつけずあますところなく人々に伝える表現技法によって、その後の「新聞」の元祖ともいうべき書物を出版しはじめました。
 彼がそれを「ドキュメンタリー」と名付けたのは、もしかすると彼の記憶の中にわずかに残っていたかつての父の地位「独面太郎」が、ちょっとなまって思い起こされたということだったのかもしれません。
 そんな彼の書くものには、ずっと同じような環境で育ってきた人々には思いも付かないような理路整然とした理想郷への熱く真摯な確固たる希求心が根底に感じられる、まさに名作ドキュメンタリーばかりでした。
 その執筆態度にも、彼のなかに受け継がれていた島民性が関係していたのかもしれません。
 彼の偉業は今もなお報道に携わる人々の規範として活き続けているものです。
 しかし彼はあくまでも無名市民の立場で発言する事にこだわってきたということもあって自らの正体を隠し続けていたために、今ではその理論の素晴らしさだけが残り、誰も名前を伝える人はなかったのです。 (了)

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