工藤伸一の小説
炎を飼う男・良純
【第1稿】 :2002/10/19 【最終更新日】 :2005/06/17

  天気がいいので駅前までぶらぶらと散歩をすることにした。本でも買おうとそのまま電車に乗り、とある駅で降りた。
 先月、駅前の古本屋に日雇いバイトの帰り道に一度だけ立ち寄ったことがあり、前からほしかった本が売っていたのだ。いかんせん家から遠いうえにそれからは用事で降りることもなかったため、久しぶりに訪れたのだ。
 ところがお目当ての本は運悪く売切。無念とはいえ、致し方あるまい。めったに見かけない古本との出会いは一期一会。うぶい本を見つけたら借金してでも即買いせよ、というのが古本蒐集家の鉄則だ。
 手持ち無沙汰を紛らすかのようにしてふと目に入った石原慎太郎の『わが人生の時のとき』を何となく手にとってみた。
 文芸評論家・福田和也が『作家の値打ち』というプロ作家の著作に点数をつけて評価する前代未聞の文芸批評本があるが、その本で『世界文学レベルの名作』という評価に値する90点以上の点数を獲得した数少ない作品のひとつである。余談だが、僕が敬愛する作家・高橋源一郎のデビュー作『さようなら、ギャングたち』も90点以上の評価だ。取り上げられた400冊あまりの現代日本作家の作品の中からよりすぐられたほんの10冊程度の頂点に位置する作品に源一郎を入れるたぁなかなかするどいなと思った。作家志望風情が偉そうに語ってやがると批判をされそうだけど。
 そういやこのあたりには石原家があると聞いたなと思っていたところ、さっきから店内で片岡義男の本ばかり物色している男の顔が見えた。
  石原良純だった。気象予報士もやってる、タレントの。
  通りで片岡義男なわけだ。彼の小説は女性の容姿と天気に関する文章ばかりふが8割以上を占めている場合が少なくない。単なる手抜きなのか、はたまた前衛なのかは僕如き青二才には測りようもない位の孤高なる書き手である。
「それは父の本じゃないか?」
 ふいに石原良純が話しかけてきたので「ええ、まあ」とどぎまぎしながら愛想笑いを浮かべると、彼は満面の笑みを返しながら言った。
「うちに遊びに来ないか? ペットを飼ってるんだ」
 唐突のことで驚いたが、どうせ暇だからと、石原宅におじゃますることになった。
 都知事の本を買う気はなかったのだが、棚にも戻しづらい雰囲気だったので、そのまま彼とともにレジに並んで購入してしまった。
 通された部屋の真ん中に何故か囲炉裏のようなものがあり、危険なほどに大きな炎がゆらゆらと揺れていた。何のための設備なのか聞こうと思ったところ、彼が先んじて説明しはじめた。
「実は、見てもらいたいペットというのは、この炎のことなんだよ」
「炎がペットって、どういうことでしょうか?」
「こいつとのなれそめについてはおいおい話すから、まあくつろいでくれたまえ。煙草は吸うかね?」
 僕は彼の持つ煙草の箱から飛び出した一本を恐縮ながらと貰い受け、燻らせた。
 そしてどういうわけか彼がペットの居場所を灰皿代わりにしてくれというので、吸いきった煙草を炎の中に投げ込んだら、炎が天井に届きそうなくらいに大きくなったので、腰が抜けそうになった。
「ああ、この部屋の天井は耐熱加工を施してあるから、安心してくれよ」
 良純はこともなげに言った。
「それより、一服が済んだなら手伝ってほしいことがあるんだ」
 ツボを運んでもらいたいとのことだった。おばあさんの部屋の入り口ぎりぎりの大きさのツボだから、2人がかりで慎重に運べないといけないのだそうだ。それにしても大きなツボだった。こんなものが置いてあるなんて、やっぱり有名な家は違う。さすが石原軍団。てゆうか都知事の実家だし。
 ぼんやりとそんなことを考えながらツボを運んでいたら足が縺れてよろけてしまい、その拍子に胸のポケットに入れていた本が、ペットの炎の中に吸い込まれた。
 本は見る間に黒焦げになって瞬く間もなく灰と化してしまった。
「うあちゃ〜なんてこった。父の本を焚書しちゃったよ。父には言えないな」
「そうですよね」
「すまん、後で埋め合わせするから、黙っておいてくれよな」
 僕が都知事と対面するようなことは芥川賞でも取らない限りはないことだけれど、とりあえずわかりましたと答えておいた。
 しかしどうにもさっきから焦げ臭くてかなわない。本当にこれ、大丈夫なのかな?
煙があまりにすごいので、一酸化炭素中毒にでもなりそうな感じだ。こんな危険な思いをしてまでも炎を飼う必要があるのだろうか。
 そんなことを思っていたら、やっと彼はペットとのなれそめを語ってくれた。実はこの炎は、東京オリンピックの時の聖火の一部だという。若かりし頃の石原慎太郎が聖火ランナーに近づいて、聖火で煙草に火をつけ、それを持ち帰ってきたんだそうだ。東京オリンピックだなんて、そんな前から飼ってたのか!
 僕はそれを知って、ちょっとその炎が可愛く思えてきた。だけどそんな大切なものなら、灰皿代わりになんかするなよとも思った。もともと煙草に付けて持ち帰ったものだからオッケーってことなのかな?よくわかんないから、そういうことにしとけばいいや。
「なんなら、分けてあげるよ」と彼が言うので、分けてもらうことにした。
「そのかわりさっきの件はおじさんには内緒にしててくれよな。今日はいい天気だから途中で消えることもないだろうけれど、これを持ったまま電車には乗れないから、徒歩で帰ることになるが、それでいいなら」
 僕はそれを承諾し、炎を移してくれたトーチを持って石原宅を後にした。トーチってのは、自由の女神が右手に掲げてるやつのことね。ほら、オリンピックの前に、それを持って聖火ランナーが会場まで走るでしょ?
 遥かオリンピアの英雄に思いを馳せるうちに、なんだか自分までもが急に英雄にでもなったかのような心持になり、炎を載せたトーチを持って全速力で走り出した。
 しかし思いもよらないことが起きた。突然の雨で炎が消えてしまったのだ。
 なんだよ、天気予報、はずれじゃねえか。良純のやろう、とんだくわせものだな。
 途端に何もかもがばからしくなってきた僕は、駅前にあったペットボトル用のゴミ箱の中に火の消えたトーチを惜しげもなく投げ捨て、電車に乗って帰宅した。 (了)

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