工藤伸一の小説
人生中毒
【第1稿】 :2003/04/19 【最終更新日】 :2005/06/17

 『中毒治療室』本日の最後の客は彫りの深い端正な顔だちをした20歳くらいの青年だった。
「どんなものでもやめられるようになるって、本当ですか?」
「ええ、勿論ですとも。酒でも煙草でもオナニーでも、たちどころにして嫌気がさすようになります。しかもその効果は、半永久的に持続するのです」
 私はいつもどおりの宣伝文句を口にした。
「でしたら、ぜひともお願いしたいんですが」
「わかりました。あなたがおやめになりたいのはどのようなものですか?」
「ええ、実は……」
「言いにくいことなんですか?」
「まあ、そうですね」
「わかります、そういう方はよくいらっしゃいますよ。この前もさる著名な映画監督が、結婚するためにロリコンをやめたいとのことでいらっしゃいまして、そのときも言いよどまれてましたからね。私どももこういう商売を始めてからもう随分たってますから、たいていのことでは驚きません。ましてや馬鹿にするなんてことは絶対にありません。どうぞ遠慮せずに何なりとおっしゃってください」
「人生をやめたいんです」
「ほおほお、人生ですか……って、えっ? それはまた、どういうことなんでしょう?」
「僕は多分、人生中毒だと思うんです。それを治療してほしいんです」
「これはまたけったいなことをおっしゃる方ですね。人生中毒なんて聞いたことがありません」
「生きたくて生きたくてしょうがないんです。何とかしてください」
「しかしですね、それはぜんぜんおかしなことではありませんよ? 生きたいという欲求は、人間としていたって正常なものですよ。どこが気に入らないとおっしゃるのですか?」
「このままでは困るんです。何でも治せるんじゃなかったんですか?」
「確かにそれは、そのとおりです。……かしこまりました。治して差し上げましょう」
 ――こうして私は彼の「人生中毒」ともいうべき不可解な症状の治療を施すこととなり、程なくして治療は無事に終了した。
「どうですか、お加減は」
「はい。何の中毒だったのかさえ、思い出せません」
「それはよかったです。また何かあればお力になりますよ。では、お気をつけてお帰りなさいませ」
「ありがとうございました」
 男は帰っていった。
「いやはや、どうにかなってよかった」
 私が一服していると、ここの受付嬢が話しかけてきた。
「先生、ちょっとよろしいですか」
「おお、なんだね?」
「……さっきの患者さん、わたし知ってますよ」
「そうなのかね? まったく変な患者だったよ。知り合いかね?」
「いえ、そうじゃなくて、有名人です」
「そうだったのか? いや〜私はどうも世相には疎くてね。それで何者なのかな?」
「はい。映画俳優さんです」
「そうだったのか。サインでももらっときゃよかった。人気がある人なのか?」
「はい。30年程前に青春映画で活躍されてました」
「30年前ねえ。ずいぶんと芸暦の長い人なんだな。……しかし、それにしては若すぎやしないか? せいぜい20歳そこそこにしか見えなかったぞ」
「ええ、生きていれば還暦くらいだったはずです」
「……生きていればって、どういうことかね?」
「実はその人、20歳の時に撮影中の不慮の事故で亡くなっているはずなんです」
「……じゃあ、あれは幽霊だとでもいうのか?」
「そうとしか考えられませんね」
「……だとすると、私はとんでもないことをしてしまったことになるな」
「どうされたんですか?」
「うむ。実はあの男が、人生をやめたいだなんて妙なことを言っていたもので、ついつい」
「ついつい?」
「機転を利かせて、逆に『人生をやめたいと思い込む中毒』を、治療してしまったんだよ」
「……そうすると?」
「多分あの幽霊は、成仏できなくなってしまっただろうな」 (了)

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