工藤伸一の小説
徒然千枚
I Wrote The Words Enough To Covery 1000 Pages
Of Manuscript Paper To Pass The Time
【第1稿】 2003/02/23 【最終更新日】 2003/03/08

とにもかくにも千枚書こうと決めて書きはじめることにした今日は2月23日。予定としては3月8日までに書き上げるつもりだからちょうど2週間・14日・1日辺り70枚強。って半端じゃない枚数なんだけどね。なんたって人気作家の花村萬月氏が昨年はじめて更新した最高月産枚数が600枚だっていうのだから、ホントマジめちゃくちゃな計画。村上春樹の昨年のベストセラー『海辺のカフカ』は毎日10枚のペースで1年がかりで1、600枚。その半分以上の枚数をたったの2週間で書いちまおうってんだから、それだけでも勲章もんだよね。創作板コテハンの日雇い君情報によるとミステリ系の人気作家のなかにはは月産1、000枚なんて人もいるらしいので、無理な数字でもないのかもしれないね。大体、内容については一切、考えていないわけだし。プロが金になる原稿を書き飛ばすのとは立場が違うんだから、まあ気楽なもんだ。とはいえ僕の執筆速度は頑張ってもせいぜい時速6枚だから、日産70枚ってことは毎日12時間かかるが週4〜5日毎日8時間の仕事があるから、移動時間やら風呂食事身支度で12時間は埋まってしまう。寝る時間、ないじゃん! まあ何も考えずに書くんだから倍の時速12枚くらいはいけるかな? それでも毎日6時間か。きついねえ。仕事がされど何のアイディアもなしに千枚の小説を書くことが目的なのだから、内容なんてどうでもいいのだ。言葉が浮かぶがままに書くなんてまるで『徒然草』のようで粋じゃないか。とりあえず作品名は『徒然千枚』とでもしておこう。後で変えたくなったら換えるけど。話のなりゆき次第でそのうちふさわしい題名が出てくるかもしれない。さてそんなわけで能書きはこの辺にして小説の主人公らしいことでもしてみるとするか。とはいったものの、どういうことをすれば小説の主人公らしくなるのだろう? ひとくちに小説といっても色々あるからな。ジャンルによって主人公にありがちな行動も違ってくるよな。何がいいかなあ。まあ、千枚もあるのだからその場その場で考えていけばいいだろう。そのうちおのずとジャンルやテーマも定まってくるかもしれない。何はともあれ、書き続けなくてはいけないのだ。と言っても考えるスピードと書くスピードを出来るだけ同じにしていかないと「あらかじめ内容を考えずに書く」というルールから外れてしまうから気をつけなくちゃいけない。っていつの間にそんなルールになったんだろう? 自分で自分をルールで縛るなんて馬鹿げている気がしないでもないな。だけどルールなしで文章を綴るなんてことが出来るものなのかどうか。突き詰めて考えてみたら、そういうことは出来ないようにも思えてくる。まあ、どっちでもいいか。それよりなにより、話を進めなくては行けない。まだ僕は何もしていない。正確には何もしていないわけではなくパソコンの前に座ってキーボードを叩きながらワープロソフトに文章を打ち込み続けているんだけど、その様を延々と書き綴ってみても小説にならないよな。でもこの状況をずっと続けなくては小説を書き上げることはできないのも事実だ。そうするとあれだ、僕がしなくてはいけないことは実際の行動としては今のままでいいのだけれど、頭を働かせなくちゃいけないということなんだろうな。ボルヘスも「書物とは脳の延長物なのだ」と言っている。という話が誰かの本に書いてあった。ボルヘス本人の文章は小難しくて僕には理解できないのだからしょうがない。なんたって僕は頭がよろしくないのよ。誰と比べてかというと少なくともボルヘスよりは頭が悪いってことに決まってる。本に書かれていることを理解できないのは書いた人より知能が劣っているからなんだね。そうすると幼稚園児が書いたムチャクチャな作文があったとして、それを理解できない僕は幼稚園児より頭が悪い事になるな。大人になるってことが悪いことを覚えていくことと同じなら、ある意味、その通りなのかもしれない。とはいえボルヘスと幼稚園児を横並びにして考えるのはさすがに失礼だな。どっちに失礼なんだろう? どっちにも失礼なのかもしれない。幼稚園児にだって誰にも負けない個人の尊厳があるはずだ。教育は人間を画一化させるためにあるにすぎないのだから、子供が大人に劣っているというのは大人の理屈に過ぎない。子供からしてみれば大人が自分達より劣って見える部分もたくさんあるだろうと思う。いま何枚目かな? ……4枚目か。はあ。これじゃエッセイというか日記と言うか、単なる「文章」だね。小説になってないよ。何か起こさなくちゃ物語を始められない。てゆうか、できれば勝手に何かが起こってくれれば助かるんだけど。でも作者である僕自身が何かを起こさない限り、物語が勝手に始まるなんてことはありえないのかな? そういうものだろうか。それはそれでなんだか嫌な感じだと思わない? だってさ、全部が全部、作者の考えた事ばかりで埋め尽くされた小説なんていくらでもあるし、いい加減あきあきしてるんじゃないの? 読書家の皆さん。そんなことない? ないんなら別にいいけど。どっちにしても返事なんてないのは分かってるけどね。だってまだ作者である僕自身ですらも読んでいない小説(一応、「小説」と呼んでおく。小説になってないかもしれないけど、作者はそのつもりなんだから、勘弁しておくんなまし。おくんなましってよく聞くけど、どこの方言なんだろうね。知らずに使ってるのもなんだけど、関西弁なら関西人でもないのに使ってんじゃねえ! ってまさに関西弁で言うところの「どつかれる」結果につながりかねないわけなんだけど、「おくんなまし」は何語かわかんないんだもんね。「何語」ってことはないか。日本語なのは確かだろうし。って本当かよ? 何の証拠もないのにイメージだけでそんなこと言ってて大丈夫なのかな。そんなことで日本人やれてるのかな、僕は。しかも日本語で小説書くなんてできるのかよ? できるっていう以前に、していいのかよ、小説を書くことを。書いちゃだめってムヒのCMみたいに言われたらどうすんのよ。まあしかし、あれだな。あれったらあれだよ。セックス。「えっち」とかいう生ぬるい言葉でごまかしたって無駄だよ。粘液粘膜摩擦。はあ疲れた。今、何枚目? 6枚か。もう書けないよ)そんなことより東都不動産、ふざけんじゃねえ。結局、ぜんぜんだめ。2週間で千枚なんて無理。てなわけで暖簾に偽りアリの穴、マクリマクリスティーはどこいった? まだ売れてる? 二割三割にも届きやせぬままに『徒然百枚』と相成りにけり。すいま千円。一億万円。とはいえどうにか2週間で改行のない100枚の原稿を仕上げたってだけでも褒めてくだちぃ、無理なら自分で自分と乳クリまんぼ! 「ま○こ」って知っているかな? 僕の彼女の「ま○こ」は大きくて、いつも濡れてるんだ。電車の中で丸見えの彼女の「ま○こ」に男はみんな釘付け。ちなみに「まなこ」のことなんだけどね。「眼」のことさ。ひっかかってやんの! バーカ! 素晴らしい! 僕はそんなバカな君を愛しているのだ。バカにしないでよこっちの西友。しょうもなさすぎるセレナーデ。   
 ――絶筆。(死んだのは作者ではなく筆のほう)


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