工藤伸一の小説
好々爺泣
【第1稿】 2002/07/22 【最終更新日】 2002/07/22

 まだ日本に高校野球というものがなかった時代のお話です。
 とある田舎町に、プロ野球の大好きなおじいさんが住んでいたそうです。
 そのおじいさんは尋常小学校をまずまずの成績で卒業したものの、家計を助けるために進学の夢をあきらめ、とある食品メーカーに営業マンとして15歳で就職して以来、実に35年もの長期間、持ち味の誠実さと誰にでも愛されるキャラクターを活かしてトップセールマンとして働いてきた会社を還暦で定年退職してからというもの、子供好きで町内会長も務める人当たりの良い好々爺としてご近所さんから親しまれてきたのでした。
 しかしそんなおじいさんにも、ひとつだけ大きな悩み事がありました。
 それは3人いる息子が全員結婚しているにも関わらず、いまだに孫が出来ないでいるということでした。
 息子達は3人ともおじいさんの住んでいる田舎を離れて都会で生活していますし、昨年おばあさんに先立たれてしまってからは、寂しい一人暮らしを続けてきたので
す。
 昼間は町内会の活動などで気を紛らわすことができても、夜になって「おやすみ」を言う相手もなく電気を消す時には、どうしてもむなしさを感じてしまうのでした。
 そんなある日、末息子夫婦が久々に帰郷しました。
 お嫁さんが、おじいさん待望の「おめでた」を迎えたというのです。
 おじいさんは心の底から喜びました。
 それから半年後、なんと産まれたのは、九つ児ちゃんでした。
 これにはおじいちゃんもびっくりしてしまいましたが、いきなり孫が9人もできて、嬉しい限りでもありました。
 末息子は、さすがに都会に11人も暮らせるような家は用意できないということで、おじいさんとともに実家で生活しながら、都会の会社に遠距離通勤することに決めました。
 そしておじいちゃんやご両親、ご近所さんらの暖かい愛情に包まれてすくすくと成長してきた九つ児ちゃんたちが高校生になったある日のこと、おじいさんは体調を崩して入院することになってしまいました。
 外に出て体を動かすのが好きだったおじいちゃんにとって、入院生活は辛いものでした。
 九つ児ちゃんたちは何とかしておじいさんを励ましてやりたいと思いました。
 どこにも出かけられないおじいさんは、テレビで野球中継を見ることだけが楽しみになっていましたので、ちょうど開催されようとしていた「アマチュア野球チームとプロ野球チームとの交流試合」に出て、優勝を目指そう、とのことで話が決まりました。
 この試合の決勝戦まで行くと、テレビで中継されるのです。
 おじいさんはそれを聞いてとても喜びました。
 九つ児ちゃんたちは力をあわせてがんばって、見事に決勝戦まで残り、試合はテレビで生中継されることとなりました。
 しかし試合前日の夜に、おじいさんの容態が急変し、おじいさんは集中治療室に移されてしまいました。
 九つ児ちゃんたちは試合を棄権して病院へ向おうとしましたが、おじいさんは朦朧とした意識のまま、「孫達が頑張ってくれてるからこそ、わしも頑張れるんじゃよ」と、息子さんに九つ児ちゃんたちを球場に向わせるよう伝えました。
 おじいちゃんは試合中、孫達が優勝できるようにと祈りながら、必死で病魔と戦っていました。
 九つ児ちゃんたちもおじいちゃんが助かるようにと念じながら、懸命に試合に臨みました。
 しかしさすがに決勝戦のプロチームは非常に手強く、相手チームに3点リードされた戦況で、ついに最終回ウラの攻撃にまで来てしまいました。
 九つ児ちゃんたちはどうにかして逆転したいと頑張ってヒットを出し続けましたが、点には結びつけられぬままにとうとう、二死満塁という緊張の局面を迎えることとなったのです。
 タイミングの悪いことに、バッターは兄弟の中でも一番バッティングの苦手な九男坊でした。
 しかしそのとき、奇跡が起きたのです。
 ピッチャーが投球フォームに入った瞬間に、突然の激しい通り雨が球場に降り注
ぎ、ピッチャーは手を滑らせてヘロヘロのスロウボールを投げてしまいました。
 これはチャンスだと思った九男坊は、ゆっくりタイミングを合わせて、思い切りスイングしました。
 ジャストミートした打球は、観客席をはるかに越えて場外に消えていきました。
 こうして九つ児ちゃんたちは優勝し、手を取り合って喜びました。
 しかし、その直後には悲しい報せを聞くこととなりました。
 ちょうど試合が終わる直前だった19時19分に、おじいさんが息を引き取ったというのです。
 結局おじいさんは試合の結果を知ることもなく、あの世へと旅立ってしまったのでした。
 九つ児ちゃんたちは、急いで球場を後にし、病院へ駆けつけました。
 九つ児ちゃんたちのお父さんの話では、おじいちゃんは息を引き取る直前に涙を流しながら、「わしのために頑張ってくれている孫達に感謝したい。孫達は必ず試合に勝てるはずじゃよ」という今際の言葉を残したとのことです。
 おじいちゃんの死に顔は、それはそれは安らかないい表情でした。
 そしておじいちゃんの告別式の日に、おじいちゃんが見れなかった九つ児ちゃんたちの試合のビデオを会場で流すことになりました。
 そこで九つ児ちゃんたちはあっと驚きました。あの最終回ウラの突然の通り雨のおかげでホームランを出せた際のスコアボードに表示されていた時間が、19時19分を指していたからです。
 それがおじいちゃんが亡くなったのとちょうど同じ時間であることは、ゾロ目だったこともあって全員が記憶していたのです。
 九つ児ちゃんたちは、おじいちゃんの涙が自分達を勝利に導いてくれたんだと思
い、天国のおじいちゃんに感謝しました。


 ――このおじいちゃんと九つ児ちゃんの感動的なエピソードはその後、様々なメディアを通じて全国に伝わり、現在で言うところの「高校野球」というものを産むことにつながったのです。
 しかしもともとはこの「高校野球」という呼び名は、この、おじいちゃんの涙が九つ児ちゃんたちを優勝に導いたという話が「好々爺泣」と名付けられていたことから、派生したものなのです。
 地方によっては、お爺ちゃん思いの九つ児ちゃんたちの話ということで、「孝行爺九」と表記する場合もあったそうです。 (了)


『工藤伸一小説集』目次に戻る

『工藤伸一作品集』目次に戻る

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO