わが紅堂家に嫁いで間もない新妻の優子が初のお産を終えたのは、雲ひとつ見当たらぬ新月の闇夜のことであった。
家主である私・輔乃伸は居茶聞(いちゃもん)名義で芽が出始めたばかりの新進小説家として連載原稿の執筆に追われながらも病院に馳せ参じ、分娩室前の廊下で今か今かと事の次第を案じていた。
愛妻が分娩室に入ってから数時間が経過しているにもかかわらず、赤ん坊の泣き声が聞える気配はなかった。
様子を見かねて分娩室に飛び込んだ輔乃伸が目の当たりにしたのは、既に生れ落ちていながらもぴくりとも動かない血まみれのわが子の姿と、放心状態の妻の
姿。
――死産であった。
私は苦渋の心持をひた隠しながら大役を成し遂げたばかりの艶やかな・しかし不安げな表情をした・まだ幼さの残る妻の美しい顔をしげしげと見つめながら、大げさにつくりわらいをしてみせた。
麻酔注射を打たれていた妻は、私の手を握りながら眠りに落ちた。
遺体はそのまま霊安室に運ばれ、医師の話では今後われわれ夫婦がわが子と対面する事はないとの事だ。
幸い妻はわが子の無残な姿を見ることはなかったが、私の脳裏に深く刻み込まれたその姿は、毎夜私を悪夢に誘うようになった。
傍らに眠る物言わぬわが子の顔の中心には目がひとつしかなく、手足の指はそれぞれ3本ずつしかなかった。
――あれ以来、妻の笑顔を見ることはなかった。
どうにかしてやりたいが、私にはどうする術も考え付かなかった。
※
そんなある日のこと、書斎の床にうずくまる小さな生き物に気付いた。
その姿を見て、私は仰天した。
――それは赤ん坊だった。
顔の中心に目がひとつ、手足の指が3本ずつしかない。
その姿は、 まさに分娩室で見かけたわが子の遺体そのままだった。
しかし今、それは遺体ではなく、まさしく四つんばいになって書斎の中を蠢きながら私に笑いかけているのだ。
死んだはずのわが子が、病院を抜け出して父の元へとやって来たのか?
手首に手を当てて脈をとってみたが、反応がない。
胸に頬を密着させてみても、命の鼓動を感じることはできなかった。
病院からの電話で、わが子の遺体がなくなったことを知らされた。
おそろしさより以前に、沸き起こる父親としてのわが子への慈愛が私の心を覆っていた。
私は病院には隠したまま、この子を育てようと思った。
妻にも内緒にしておかなくてはいけない。
ある程度の年齢になったら整形手術でも受けさせてやろうと思い、書斎で隠れて育てる事にした。
幸い、私が執筆に追われている間中は、誰も書斎を訪れることはない。
気が散らぬようにと防音の効いた書斎の外には、一切の音が聞えないようになっている。
※
最初の異変に気が付いたのは、死んだはずのわが子が1歳の誕生日を迎えた日の夕方だった。
闇夜にどこからともなく書斎に忍び込んできた妖怪のような連中が、わが子とともに遊ぶようになった。
私は恐ろしさのあまり、狸寝入りのまま薄目を開けてその姿を毎夜つぶさに観察していた。
彼らはみな子供のようだが、わが子同様に皆が皆、それぞれに面妖な姿をしている奇形児ばかり。
そして妙に古びた旧時代の衣服を身に纏っているのだ。
言葉を覚え始めたわが子と親しげに話す言葉の内容から、聞いた事もない集落の名前が聞いて取れた。
文献を漁って調べてみたところ、東北地方にかつて存在し、今ではダムが建設されて水没してしまった村だ。
さらにその村に関する文献を漁り続けているうちに、生き残りの村民達が一斉に移り住んだという集落を突き止めることが出来た。
ついでにと思って妻と自分の先祖を遡ってみたところ、2人に共通の集落出身の先祖がいることさえわかった。
それはまさに、その村だった。
死んだはずのわが子がここへやってきた理由と、夜ごとの奇妙な宴の理由を知る鍵がそこにあると思った。
妻を里帰りさせた後、覆面をさせたわが子を連れて、旅に出た。
――生き残りの村民たちの住む集落を求めて。
《第2話につづく》
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