工藤伸一の小説
村上春樹
【第1稿】 2002/10/25 【最終更新日】 2003/02/19

 やあ!
 『僕』だよ、『僕』!
 久しぶりじゃないか。
 ……どれくらいぶりかな?
 『ダンス』以来だから、もう10年以上は経ってるのかな。
 ……え?
 『僕』が誰だかわからないって?
 おいおい、君って案外、冷たい奴だったんだな。
 ほら、『僕』だよ。
 村上春樹の小説で長い間、主人公役をまかされていた、『僕』だよ。
 思い出してくれたかい?
 ……なに?
「お前は村上春樹の小説の主人公なんかじゃない」だって?
 なんだよ、『僕』が偽者だとでも言うのかい?
 ……そうか。
「お前は工藤伸一の小説の中の『僕』に過ぎない」と言うわけか。
 でもさ、ちょっと待ってくれないか。
 それはあまりにも、安易過ぎる考え方なんじゃないかな。
 それってただ単に、読んだままの見た目だけの話だろ?
 大体、『僕』と君とはあくまでも本を通してしか知り合っていないんだからさ、
姿が見えるわけでもないのに、憶測だけで勝手なことを言うのはやめてもらえないか。
 ……え?
「どうしても信じられない」だって?
 何だってそうなるんだ。
 信じられないのはむしろ、僕のほうだよ。
 ……あ。
 おいおい、どこいくんだよ。
「勝手にやってろ」?
 せっかく久しぶりに会えたっていうのに、もう行っちゃうのかい?
 ……ああ、なんてことだろう。
 残念だな。
 でも、しょうがないことなのかな。
 しょせん、人と人とが分かり合うことなんてできやしないことなんだ。
 僕らはいつでもただ『分かり合ったふり』をできるだけなんだよな。
 それが人生の真実なのかもしれない。
 やれやれ、だな。
 マスター、ビールを注いでくれ。
 銘柄はいつものやつで。
 今夜はせいぜい酔っ払って、早めに寝ることにするよ。
 ……ん?
 この曲は、『ワルツ・フォー・デビイ』じゃないか。
 懐かしいな。
 ……思い出の曲だ。
 何だか今日はまるで、盟友スコットに先立たれてからの数年間、ただドラックに溺れる
しかなかったビルの気持ちがよくわかる、そんな気分なんだよ。
 思い出の中にしか生きる意味を見出せないなんて、あまりにも切な過ぎるよね。
 だけど、しょうがないことなんだ。
 僕らはいつだってこうして『死の対極としての生』を、どうにか生きていくしかないんだ。
 ……これから『僕』はどこへ向かうのだろう。
 もしかしたら、もうどこへも行けやしないのかもしれないな。
 まあ、それならそれでも別に構わないんだけどね。
 とにかく今は一刻も早く酔い潰れてしまいたい、ただそれだけなんだ。
 多分、そうするしかないんだろうな。
 きっとそうに違いないのさ。
 ……マスター、同じのをもう一杯くれないか。
 
 (了)

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