工藤伸一の小説
11月のドライアイ
【第1稿】 :2004/06/13 【最終更新日】 :2005/11/30

 この季節の乾燥した横風に吹かれていると、やけに目が乾いて、無性に涙がこぼれてくる。
 少なくとも悲しみの自覚があるわけじゃないのに、表層的には何かを泣いているかのように思われてしまいそうなのが堪らなく辛い。
 画廊や風俗店などの客引きがしきりに声を掛けてくるこの街では、いちいちそれら全ての誘いに対応しているわけにもいかず、結果的に誰しもがクールにならざるを得ない。そうしないとこの都会で生きてはゆけないから仕方なくそうしているだけなのだが、今こうしてドライアイのために両瞼を瞬たたせながら歩いている時に、彼らの心ない誘いの声を無情の体にて無視している様は、まるで悲劇の最なかにある当事者の狼狽しているそぶりに似通っていて、自分でもいつも通りの自然な素行だと考えることが出来ないのだ。
 それともこんな事を考えてしまうのは、僕の涙の原因が実は乾燥した空気のせいなんかではなく、自分でも気が付いていない何らかの悲しみに拠るということを、体が勘付いているからだったりするのだろうか?
 
――車の急ブレーキの音に驚いて、我に帰った。赤信号に変わっていた事に気づかぬまま横断歩道を渡ってしまっていたのだ。

――思い当たる節がないこともなかった。ちょうど半年ほど前のことだ。

 クリスマスを間近に控えて浮かれる世間を尻目に、文芸誌の新人賞応募用の小説の執筆に追われていた僕は、デートの約束をほったらかしにしたまま、部屋にひきこもって小説を書き上げた。
 彼女の訃報を知ったのは、松の内を過ぎてからだった。僕は結局、線香をあげにも行かなかった。
 今月になって、必死で書き上げた小説が一次選考も通ることなく落選していたことを知った。
 僕は一体、何をしたかったというのだろう。そしてどこへ向かおうとしているのか。
 11月のドライアイに気をとられながら僕は、いつのまにか見知らぬ場所に立っていた。

――ここはどこなんだろう? 

 周りを見渡してみても、さっきまでのような雑踏すら見当たらない。
 そしてふと気がついた。急ブレーキの音を聞いて以降、僕は何をしていたのか、一切の記憶がないということに。
 遠くから、あのコの呼ぶ声が聞こえてくる。

――僕は死んでしまったのか。

 ここにはもう、新人賞の選考も大切な人を失う悲しみも、そしてドライアイも存在しない。
 決して崩れることのない幸せを手に入れた僕は、彼女と手をつないで向こう側へと歩みだした。(了)


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