工藤伸一の小説
再生の海と記憶の一夜(仮)
【第1稿】 :2003/01/12 【最終更新日】 :2005/06/17

 リストラと離婚という大きなダメージを一度に受けてしまった彼はすっかり人生に悲観し、まるで抜け殻のようだった。どうにか生きてはいるものの、しばらくクリーニングにも出していないよれたジャケットとプレスのきいていないくちゃくちゃのズボンに身を包み、ひと気のない平日昼間の町外れの公園のベンチにひとりたた
ずむ彼の影は薄く、およそ精気といったものの感じられない、生きた死人のようだった。
 40過ぎで何の資格も持っていない彼を雇ってくれる殊勝な企業はどこにもなく、あてのない就職活動の期間は失業保険料の給付期間をとうに過ぎていて、なけなしの小銭をはたいて買ってきたワンカップ大関5本を一気に飲み干して、彼は最後の行動を開始しようとベンチから腰を上げた。
「どんな死に方がいちばん楽かな……」
 歩き続けていた彼は、駅のホームに彼が大学に通うために使っていた江ノ島線の電車が止まっていることに気付くなり、最後にこれに乗ろうと決めた。
 江ノ島線は、別れた奥さんと初めて出会った思い出の場所でもあったのだ。
「あの頃は、本当に幸せだったな……」
 彼は電車に揺られながら、遠い青春時代の思い出に浸っていた。
「そういえばあの頃、オレは妻の他にもうひとり彼女がいて、二股かけてたんだっけ……」
 彼はモテモテだった頃の自分の姿と、そろそろ抜け毛や加齢臭さえ気にしなくてはならなくなった今の体たらくとを比べてみて、さらに落ち込んでしまった。
「やっぱ、生きててもしょうがないな」
 江ノ島に着いた彼は、はるか真下に真冬の荒波が広がる断崖絶壁の前に立ち、靴を脱ぎ、 横に揃えておいた。遺書を残そうかとも考えたが、どうせ財産も何もないのだし、別れた 妻が悲しむとも思えなかったので、それはやめにした。両親はすでに亡くなっており、子供 もいない彼には、この世に思い残す事など、もう何一つとして残されていなかったのだ。
 そして彼が心を決めてダイブしようとしたそのとき、強風に煽られて飛んできた何かに目を ふさがられてタイミングを逃してしまい、彼はその場に倒れこんで岩場にしりもちをついた。
「あいててて……なんて固い岩場だ。痔になりそうだよ」
 といってみてから彼は、これから死のうとしているというのに痔の心配なんかしている自分の馬鹿さ加減に気が付いて、思わず苦笑を漏らした。そしてすぐ側に落ちていた、ついさっき彼の顔に覆いかぶさってきたものに目をやった。
 それは麦藁帽子だった。
「どうしてこんなものが……」
 真冬の海岸に麦藁帽子という取り合わせは、どうにも奇妙なものだ。周りを見渡してみたが、 誰も見当たらない。手にとってよく見てみると、しばらく野ざらしにされて汚れがしみこんで いる様が見てとれた。これは多分、夏場の観光客が忘れていったものが岩場のどこかにひっか かっていたのだろうと、彼は推測した。
「まてよ……断崖絶壁と麦藁帽子だって……?」
 彼はその取り合わせにまつわる、ある気がかりな記憶があったことを思い出しつつあった。
「そうだ、妻と二股をかけていたもうひとりの彼女の洋子だ。学生時代、あいつとここに 来た事があった。そのとき洋子は、麦藁帽子を被っていた」
 しかし彼はその時も泥酔していたし、いまも酔っていて、それ以上のことはなかなか思い出せそうになかった。そんなことよりも、今はとにかく、死ぬ事が先決なのだ。
 いやしかし、 死んでしまっては物も考えられなくなる。そう思い直した彼は、もうしばらく記憶の糸をた ぐりよせてみてから、すっきりとした心持で死んでいこうと
考えた。
「……そういえば、あの日以来、洋子には会っていない……」
 彼は自分の中にこれまで隠蔽されてきた、ある嫌な出来事の記憶があったことを思い出しつつあった。 (第2話につづく。。。はず)

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